流浪の月 凪良ゆう
ミステリーではないので種明かしをしてるわけではないですが、ネタバレ気にせず書いてます。
最近読書できてないなと本屋さんに出向いて選んだ一冊。
内容というよりは作者の凪良さんに対して、おこがましくも私と思考が似てるんじゃないかと思ったわけで、その話をしていく。
昨今LGBTQについていろんな意見が取り上げられているが、私は小児性愛者はそれとは違うのかという疑問を持っていた。
他にも"普通"とは分けられる様々な性対象があるが、今回は本に準えこのトピックだけ話す。
T以外のLGBQは性対象の違いで分類されている。そして世間から受け入れられようとしてる。
それと小児性愛者は同じではだめなのか、病気なのか、いかれているのか、その境目は医学的に判断できるのか、
調べてみるとこんな記事があった。
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41812774
この記事によると小児性愛はADHDやうつ病などと同じ精神障害に分類されるとあった。
そして彼らにはLGBQの人たちと同じように普通とは違うことへの葛藤があった。
ただ大きく違うのは、それが犯罪ととても近いところにあるということ。
私は単純にフェアではないと思った。理性が効かなかったとき、相手が子供だから反撃されずに進んでしまうだけで、こちら側の罪は同じなのではないか、と。
こんな考えひん曲がっている自覚はある。
だが、以前高校生の家出少女を匿い有罪になった中年男性のインタビューを見た、彼は後ろめたさも無く彼女を守ったのは自分だ、ただ安心させてあげたかった、と言った。
それを聞いた時の衝撃は凄かった。本気でそう思っているようにしか見えなかったからこそ、なぜそんな思考が存在するのか知りたくなった。
文のように、いつまでも隠し倒せないことも、見つかれば逮捕されることも分かっていたと言う。
そして私はその人に同情した。
性が全く関与しない愛のようなもの
血筋や時間が作るものでもなく、ましてや同情や心配や哀れみからくるものでもない、恋愛に似て一番遠い感情
それを持たないのが普通の人で、持つのが文や更紗なのではないか、
ひとりは楽なのに、それと同じくらいひとりは怖くて寂しい (作中の文を意訳)
前者を持たないのが普通の人で、両方を持つのが文や更紗
どの文を読んでも、更紗は文のことを小児性愛者だと知りながら惹かれていることに何の疑問も持っていない。
私も凪良さんも更紗の感情に何の疑問も持たないタイプなのは明白であり、それこそが凪良さんの答えなのだと思う。
思考は人それぞれ、誰に共感されなくてもいいと思いながら、普通と違うことに戸惑う。でも戸惑う自分は案外普通なんだと開き直れば良いと思うのだ。
彼女の著書にはBLも多いそうなので、それも読んでみる。
そして一向に解けないなぜ腐女子と呼ばれるのかについてまた考えていこうと思う。
以上、現時点での私のまとめはこんな感じだ。